今回は、タレント、コメンテーターとして日本で活動しているサヘルローズさんにスポットを当てます。
サヘルさんは、中東イランの出身なのですが、壮絶な生い立ちだったようです。
そんなサヘルさんについて、
- サヘルローズさんの生い立ち
- サヘルローズさんの日本での経歴
- サヘルローズさんの現在
について調べてみました。
さっそく本題に入りましょう。
サヘルローズの生い立ちが凄い
サヘルローズさんは、中東のイラン出身です。
14人兄弟の末っ子として生を受けました。
生まれたころ、イランイラク戦争の真っ只中で、イラクによる空爆によって町は壊滅したそうです。
ボランティアによって助け出されますが、その後は孤児院に引き取られました。
そのため、両親の記憶はほとんど無いそうです。
その後、そのボランティア(フローラさん)によって娘として引き取られることになりました。
フローラさんの婚約者が日本に留学していたため、その伝手で縁あって日本に来られたそうです。
サヘルローズの日本での経歴
義理の母と共に来日することになったサヘルローズさん。
来日してからも、しばらく困難は続きました。
義理母の婚約者からの「教育」という名の暴力を受け続け、状況を替えるために、母親と野宿に近い生活スタイルになりました。
日本人も何人か協力してくれる人がいたようで、当時通っていた小学校の校長先生が日本語を教えたりしたことも。
また、給食の職員が気にかけてくれたこともあったそうです。
給食のオバちゃんが「大丈夫か」と声をかけてくれたことで、説明する勇気が出せました。「パーク」というそのとき自分が使える単語を使って、実は今公園にお母さんとふたりでいる、ということを伝えられました。
「もう行かなくていい。うちにいらっしゃい」と言ってくれて、私たち親子のことを自分のおうちに泊めてくれました。実は給食のオバちゃんもシングルマザーで、彼女も女手ひとつで、自分の娘さんを育てていました。
引用:婦人公論
中学生になり、都内に引っ越ししましたが、そこで酷いいじめにあうようになりました。
「人種や文化の違い、母子の貧困家庭であることなど、さまざまな理由でいじめに 遭 いました。同級生に無視されたり、ボロボロになっても大事に使っていた 上履 きを投げ捨てられたり…。『サヘル菌』と言われ、バイ菌扱いされたこともあります。先生に相談しても真剣に向き合ってもらえず、『頑張ろうね』と言われるだけで…。どんどん心が追い詰められていきました。
引用:読売新聞
なんとか耐え抜き、「栽培した野菜を持って帰れるから」という理由で都立園芸高校進学を決意します。
高校生の時にJ-WAVEのオーディションに合格して芸能界にデビューすることになります。
その後、ITを学ぶために東海大学情報理工学部へ、そして日本語を正しく学ぶために東京アニメーションカレッジ専門学校アクターコースへとダブルスクールの道を進んでいます。
ちなみに学費は、芸能界で稼いだお金で通ったのですから、大したものですね。
サヘルローズの日本での活動
芸能界への道ができたサヘルローズさん。
高校生の時から芸能界に入っているため、様々な方面で経験を積んできました。
今では、番組への出演やドラマ、ナレーション、映画、舞台と数多くの活躍の場ができています。
またこれとは別に世界各国で人権支援活動も行っています。
AAR Japan[難民を助ける会]が支援活動を続けるウガンダの
引用:AAR Japan
チャングワリ難民居住地もそのひとつ。
俳優サヘル・ローズさんと一緒に2月に現地を訪問しました。
サヘルさんが出会った子どもたちの様子やサヘルさんの想いを伝えてまいります。
さいごに
今回はサヘルローズさんの生い立ちや経歴などについてリサーチしました。
日本に来るまでと、日本に来てからも苦労が絶えなかったようですね。
現在は安定されているようですので、引き続き日本での活躍を期待しましょう。
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